これは、最近通ってる茶道教室の茶室に掲げられていた言葉で、「一点の汚れもない白い球であろうともさらに磨くべし」ということらしい。
エッセイを読んでいて、出てきた言葉です。
なるほどな。。
いい言葉。
ふと思い出した。
職場の朝礼で毎朝、仕事の指針のような、向き合い方などをエッセイ的なものにした本を読むんだけど、その中で、
「Aさんの机周りはいつも整理整頓されてきれいです。どうしたらいつもキレイでいられるのか聞いてみたところ、毎日の掃除が大事なんだそうです。たとえ汚れていなくても、さらに磨きをかけるつもりで掃除をするのだそうです。」
うろ覚えではあるんだけど、確かそのような内容で、感銘を受けました。
その時、ちょうどトイレ掃除の順番がきてて、でも汚れが目立ってきたら掃除すればいいやと思っていたのだけれど、それを聞いたその日の夕方、トイレ掃除をした。
とくに汚れはなくとも、磨きをかけるように丁寧に掃除をした。
なんだかとても、すがすがしい気持ちになりました。
この気持ち、いつも持ち続けようと決めながらも家ではなかなかの散らかりよう。(苦笑い)
でも、せめて外ではきちんとしているつもりではあります。
さて、エッセイの内容といえば、
初めて触れる袱紗(ふくさ)をうまく扱えるはずもなく、襖の開け閉めから、月謝の払い方に至るまで、知らないことだらけ。でも知らないから習うものであり、初めはできなくて当然なのだと開き直ってみると、気持ちもほどけていき、以来、暇さえあれば茶室で静かな時間を過ごすようになり、心地よい緊張感と共に深いリラクゼーションを味わえるようになった頃、目に飛び込んできたのが、「白珪尚可磨」だった。「修行の道に終わりはない油断するな!」ということだろう。 *書籍、『ないものねだり』から
出し抜けに、「白珪尚可磨」といわれても、なんのことだかわからないかもしれないけど、
読むと、ああなるほどなと納得できる。
出し抜けついでに、
それだけ聞くとなんのことだかいまいち分からないかもしれないけど、好きな言葉があって。
「優雅に暮らすことは最良の復讐である」
なんだか、すごくわかる気もするんだよね。
本のタイトルなんだけど、なんか、なんか分かるよね。
いつか読みたいと思っている本です。
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